自己受容と他者受容は正比例する。
心の成長において、私たちは自分を受け入れた分だけ、相手のことも受け入れられるようになるということです。
逆説的に言うと、自分を受け入れられないでいるときには相手のことも受け入れられない。
私たちは、様々な経験をすることで成長します。
経験をしなければ成長できないといっても過言ではありません。
赤ちゃんの頃、泣くだけで何でもお世話をしてもらえた時期から、言葉を覚え、自分の気持ちを自分で伝えられるようになると、相手にお世話をしてもらうばかりの受け身の生き方から、自分がこうしたい!という意志を持つ、能動的な生き方へと変化するのです。
日本では、空気を読むことや気配りすること、気が利くことが素晴らしい、できて当たり前という風潮がとても強いように感じています。
もちろん、ホテルや飲食業などサービス業でお客様に対してプロとしてそのような対応を仕事としてすることは素晴らしいことです。
しかし、日常生活においてもそれらを自分や相手に求めるのは、相手との対等な関係性を築けない原因になるのではないでしょうか。
自分と相手は違う存在であり、お互いを尊重し合うことで良い関係を築きたい。と願うのであれば、赤ちゃんとお母さんの関係のように、言わなくても私の欲求を察して、かなえてほしい、という要求は良い関係を築くことに繋がらないのではないでしょうか。
また、いつまでも赤ちゃんとお母さんの関係のように、相手の欲求を察して、かなえてしまう関係を続けることは、相手を一人前の大人として扱わない、自分の思い通りにしようとコントロールし続けてしまうことに繋がるのではないでしょうか。
相手を大切に思うからこそ、相手の先々を心配してしまうという気持ちは理解できますが、実は、自分の心配を相手に押しつけて、その心配や不安から自分が解放されたいというエゴなのではないでしょうか。
自分がネガティブ(否定的)にとらえていることも、ポジティブ(肯定的)にとらえていることも、実は自分の思い込みや信念のフィルターを通して自分が評価しているだけのことで、事実はただそうであるということです。
自己受容とは、そのまま、ありのままの事実を評価しないで受け入れる、認めることです。今、ネガティブにとらえていることを許すことで、事実を受け入れることになるから「許しましょう」とか、「罪悪感を捨てましょう」といわれるのです。
自己受容とは、自分自身との関係を表す言葉です。自分は自分である。吾輩は猫である。それ以上でも以下でもないのですから、難しく考えないで、自分を受け容れられるようになるといいですね。
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あなたがあなたらしくますます輝けますように。